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もしも「死にたい」と言われたら 自殺リスクの評価と対応


おはようございます


早速こちら


もしも「死にたい」と言われたら

もしも「死にたい」と言われたら  自殺リスクの評価と対応

もしも「死にたい」と言われたら  自殺リスクの評価と対応




「死にたい」

そんな言葉を身近な大切な人に言われたら悩みますよね

まず、"なんと言ったらいいかわからない"のが正直な気持ちでしょう



その状況によっては

「もっとつらい人もいる」などとお説教になってしまったり

「悲しむ人がいる」と言ったり

「自分もあるよー」と軽く流してしまうかもしれませんね



専門家だとしても対応に悩む言葉のうちの一つなのではないでしょうか




この本は帯がいいですね


『「死にたい」と誰かに告げることは「死にたいくらいつらい」ということであり、

もしも、

このつらさを少しでもやわらげることができるならば「本当は生きたい」という意味なのである』




まさにその通り


言葉通りに受け取ってしまえば見えなくなってしまいますが

死にたいくらい辛くて苦しいけど、もし叶うならそれらが終わってくれるなら、生きていけるのに

という心の叫びなんでしょうね



内容は、

前半が、自殺の対人関係理論、隠れた自殺念慮のアセスメント、自殺企図への具体的な対応策



対人関係理論はなるほどなーと思いました


実際に自殺行動に移させるのは

『自殺願望』と、

死の恐怖の低さや自分の身体を傷つける抵抗の無さ、疼痛への鈍感さという

『自殺潜在能力』



自殺願望は、"所属感の減弱"と"負担感の知覚"の重なりによって生まれるらしいです


"所属感の減弱"は、主観も含めた居場所の無さ


そして

"負担感の知覚"とは

「自分が周りに迷惑をかけている」「自分がいない方が周りは幸せになれる」という意識



自殺は「周りに迷惑をかける行為」と怒る人もいますが、本人にとっては


自分が存在することの迷惑 > 自殺による迷惑


なんですね


これはかなり重要ですよ 




後半は大量服薬含めた自傷行為への対応から

自殺の危険因子について



自傷行為は、「人の関心を引きつけるため」などと誤解されがちですが、実際は 


96パーセントが


誰も見ていないところで行い、他者に公言したこともないんだそうです




こういうことを世にもっと知ってもらいたいですよね



世間のイメージとは全然違います




死にたいと打ち明けられたときや、自殺をしようとした時の対応については具体的に書かれています

どんな言葉をかけたらよいか、質問したらよいか、かなり参考になるはずです


約130ページ

小説新刊サイズ




大切な人が「死にたい」と切迫した気持ちでいたら、どうすればいいのか



精神医療や福祉に携わる人だけではなく、多くの人に読んでもらいたい一冊です



それではまた